この震災を契機に、人生の価値観を変えてみよう…
今般の大震災を契機に、我々は、人生のパラダイム、あるいは、ライフスタイルを変換する必要があると思っています。
例えば、ガソリンや電気など、当たり前と考えていたエネルギーインフラは、盤石でないことを知りました。
電気の供給が、震災前と同等に戻ることは、不可能だと考えていた方がいいと思います。
福島の原発は廃炉になり、今後、新たな原発の建設には、疑問が残るからです。
原発は、大量の水を必要としますので、すべて、海岸に設置されています。
日本のすべての原発は、今回同様に「津波」の被害を想定しなければならないでしょう。
「津波」は、日本のどこの海岸線でも、想定されることです。
地震には耐えられても、海岸線に位置する限り、「津波」は避けることはできません。
あるいは、ガソリンにしても、「リビア問題」を契機に、原油調達が不安定になる可能性があります。
それでなくても、石油資源は、枯渇への道を歩んでいます。
脱石油…これも必須の課題です。
電気も化石燃料も、有限の資源なのです。
今、旬の電気自動車だって、その前提が崩れかねません。
ライフスタイルを変えるには、相当な覚悟が必要です。
6掛け、7掛けの生活です。
自分の人生を、昭和の30年代に戻すくらいの気持ちがないと叶わないでしょう。
若い方には、知りえない生活です。
少し、振り返ってみたいと思います。
映画、「三丁目の夕日」、これが、ちょうどその時代を描いています。
冷蔵庫は、電気ではなく、氷を使ったものでした。
一番上に氷を入れるスペースがあり、氷の冷気が下に降り、食品を冷やす仕組みです。
私は、籐の籠を持って、近所の氷屋さんに、「一貫目ください」と氷を買いに行きました。
氷屋という業態が、あったんです!
ものを冷やすのは、電気でなく、氷でした。
一貫目とは、約4㎏です。
まだまだ子供である私が、近所とはいえ、徒歩で4㎏の氷を買いに行ったのです。
洗濯機はありませんでした。
すべて、洗濯板(波状の板)を使った手洗いでした。
テレビは、一部の裕福な家庭にしかありません。
私たち家族は、歯科医をしていた親戚のもとに、皆、集まって、相撲やプロレスを観戦したことを覚えています。
私は、クルマが大好きで、すべてのクルマの名称を知っていることで、親戚の間で評判でしたが、当時、クルマは珍しい存在です。
簡単に覚えられる車種しかありませんでした。
自転車でさえ、小学校のクラス(50人学級で、5クラスありました)で数人しか持っていない、憧れの存在です。
今とは、全く違います。
しかし、当時は、「高度経済成長」の時代です。
日本人すべてに、夢と希望がありました。
次々に、「モノ」が手に入り、生活が豊かになっていったのです。
これからの生活を、何もそのころのように、何もない状態に戻そうということではありません。
どこに「価値」を見出すかということです。
そうでないと、夢も希望も無くなってしまいかねません。
そう考えると、私たちのまわりには、見直すべきことが沢山あると思います。
「選択と集中」です。
本当に大切なもの(こと)を見つけ、そのことの充実のために生きていくことではないでしょうか。
その意味で、私は、エネルギーをいたずらに消費する産業は、すたれていくと考えています。
私に関連する業種でいえば、快適なフィトネスジムに通うことに価値があるのではなく、健康できちっとした体を作ることに価値があると、人々は気付くのではないかと思っています。
若い方にこそ、そのような考えが広まると思います。
今の、震災ボランティアを見て、そう感じます。
人生観の見直しは、既得権益者である年金世代には受け入れがたいことかも知れません…。
昔を知っているからこそ、何か、失うことの方が多いと感じるでしょう…。
だからこそ、眼鏡をかけ替える(パラダイムを転換する)必要があります。
これはもう、避けて通れない現実です。
私たちは、健康こそ、何よりの私たちの資産であることを、震災を通して実感しました。
透析をしている方々の心労は、想像に難くありません。
津波にすべてをさらわれ、身一つで残された人々には、もはや、ご自身の健康なこころとからだを拠り所に、立ち直っていくしかないのです。
私自身、模索が続きます…。
例えば、ガソリンや電気など、当たり前と考えていたエネルギーインフラは、盤石でないことを知りました。
電気の供給が、震災前と同等に戻ることは、不可能だと考えていた方がいいと思います。
福島の原発は廃炉になり、今後、新たな原発の建設には、疑問が残るからです。
原発は、大量の水を必要としますので、すべて、海岸に設置されています。
日本のすべての原発は、今回同様に「津波」の被害を想定しなければならないでしょう。
「津波」は、日本のどこの海岸線でも、想定されることです。
地震には耐えられても、海岸線に位置する限り、「津波」は避けることはできません。
あるいは、ガソリンにしても、「リビア問題」を契機に、原油調達が不安定になる可能性があります。
それでなくても、石油資源は、枯渇への道を歩んでいます。
脱石油…これも必須の課題です。
電気も化石燃料も、有限の資源なのです。
今、旬の電気自動車だって、その前提が崩れかねません。
ライフスタイルを変えるには、相当な覚悟が必要です。
6掛け、7掛けの生活です。
自分の人生を、昭和の30年代に戻すくらいの気持ちがないと叶わないでしょう。
若い方には、知りえない生活です。
少し、振り返ってみたいと思います。
映画、「三丁目の夕日」、これが、ちょうどその時代を描いています。
冷蔵庫は、電気ではなく、氷を使ったものでした。
一番上に氷を入れるスペースがあり、氷の冷気が下に降り、食品を冷やす仕組みです。
私は、籐の籠を持って、近所の氷屋さんに、「一貫目ください」と氷を買いに行きました。
氷屋という業態が、あったんです!
ものを冷やすのは、電気でなく、氷でした。
一貫目とは、約4㎏です。
まだまだ子供である私が、近所とはいえ、徒歩で4㎏の氷を買いに行ったのです。
洗濯機はありませんでした。
すべて、洗濯板(波状の板)を使った手洗いでした。
テレビは、一部の裕福な家庭にしかありません。
私たち家族は、歯科医をしていた親戚のもとに、皆、集まって、相撲やプロレスを観戦したことを覚えています。
私は、クルマが大好きで、すべてのクルマの名称を知っていることで、親戚の間で評判でしたが、当時、クルマは珍しい存在です。
簡単に覚えられる車種しかありませんでした。
自転車でさえ、小学校のクラス(50人学級で、5クラスありました)で数人しか持っていない、憧れの存在です。
今とは、全く違います。
しかし、当時は、「高度経済成長」の時代です。
日本人すべてに、夢と希望がありました。
次々に、「モノ」が手に入り、生活が豊かになっていったのです。
これからの生活を、何もそのころのように、何もない状態に戻そうということではありません。
どこに「価値」を見出すかということです。
そうでないと、夢も希望も無くなってしまいかねません。
そう考えると、私たちのまわりには、見直すべきことが沢山あると思います。
「選択と集中」です。
本当に大切なもの(こと)を見つけ、そのことの充実のために生きていくことではないでしょうか。
その意味で、私は、エネルギーをいたずらに消費する産業は、すたれていくと考えています。
私に関連する業種でいえば、快適なフィトネスジムに通うことに価値があるのではなく、健康できちっとした体を作ることに価値があると、人々は気付くのではないかと思っています。
若い方にこそ、そのような考えが広まると思います。
今の、震災ボランティアを見て、そう感じます。
人生観の見直しは、既得権益者である年金世代には受け入れがたいことかも知れません…。
昔を知っているからこそ、何か、失うことの方が多いと感じるでしょう…。
だからこそ、眼鏡をかけ替える(パラダイムを転換する)必要があります。
これはもう、避けて通れない現実です。
私たちは、健康こそ、何よりの私たちの資産であることを、震災を通して実感しました。
透析をしている方々の心労は、想像に難くありません。
津波にすべてをさらわれ、身一つで残された人々には、もはや、ご自身の健康なこころとからだを拠り所に、立ち直っていくしかないのです。
私自身、模索が続きます…。
この記事へのコメント
電力は、ピークが問題なんですよね。
発想を転換して、夜間だけ営業するコンビニや、明るいうちだけ営業するコンビニと、分けるのも手だと思います。
我々の生活に見直しは、必至です。
産業の業態も、それに伴って変わっていくでしょう。
想像もつきませんが、独創的な発想が必要なんだと思います。
我々の生活だけでなく、日本経済も、6掛け7掛けを覚悟しなければならないでしょう。
こんな状態で、7月に、地デジに完全移行できるのでしょうか?
今日も、「模索」が続いています…。