自己管理できる人・できない人

今日は、少しメンタルな面を考えてみたいと思います。

私自身、自身が糖尿病である事は、もしも自然な状態で話す機会があるならば、どなたにでも特に隠さず、お話しする事にしています。

そうすると、お話しの相手が糖尿病でなくても、いろいろな話が聞けることもあるのです。

特に誰の話と特定するものではありませんが、「自己管理できている人・できない人」がいるのだなということを、実感しています。

一体、この差とは何なんだろうかと思います。

意志の差なのでしょうか?
意識の差なのでしょうか?
性格の差なのでしょうか?
趣味・嗜好の差なのでしょうか?

よくよく考えてみれば、それらは「差」ではなく、「相違」です。
どちらが上でも下でもないからです。

しかし、自己管理できているか、いないのかと考えると、それは明らかに「差」といっても良いと思います。

10年後、20年後に、「差」となって表れる可能性が、極めて高いからです。
糖尿病という診断を受けたのなら、やはり、自己管理できている方を、私は選びたいと思います。

なぜできるのか?
なぜできないのか?

掘り下げて考えてみたいと思います。

まずは、一般的な相違点を挙げてみます。
あくまでも、私の個人的な見解であることを、ご承知下さい。

≪自己管理できている人≫-----≪自己管理できない人≫
三つあると思います。

①糖尿病への理解-----糖尿病への誤解

②自力本願-----他力本願

③中長期的考え-----今が大事(刹那主義)

その他にも、運動の好き嫌いがあるかも知れませんが、運動が嫌いであっても、自己管理をしっかり行っている方もいると思いますので、ここは省きましょう…。

①の場合は、主治医の治療方針ともかかわってくるもので、極めて重要な要因だと思うのですが、このテーマは別途考えてみたいと思います。

②の場合…。
「治療は医者がすること」
「食事の支度は女房がすること」
そう考えている方も、多いと思います。

事実、私も程度の差こそあれ、基本的にはそのように考えていたのです。

食事については女房とよく話し合いはしていましたが、「治療は医者がすること」と信じて疑いませんでした。

「薬飲んでるんだから、大丈夫でしょう…。後は医者に任せて」という話も、よく聞きます。
その場合、聞く耳を持っていないとすれば、我々にはどうする事もできないかも知れません。

私は、現在の主治医から、エンパワーメント(権限委譲)を受けてから、劇的に変わりました。

「医者のいう事を聞いていれば良い」のではなく、「自分で工夫し、管理する」という意識への変革でした。
それについて、主治医からは、「こうしなさい!」とは言われていないのです。

「血糖自己測定し、それを記録」することから始めようという、シンプルな提案だったのです。

勿論、ワンポイントのアドバイスはありましたが、各人、病態の異なるこの病気の場合、定理にはこだわり過ぎないほうが賢明だと、主治医は言いたかったのだと思います。

また、「あの人は、隠れて甘いものを食べてる」という家族や親戚の話も、よく聞きます。

「子どもじゃないんだから、自分で買いに行ってしまう。どうしようもない」

それに対して、「嫁の管理が悪い」という姑もいます(苦笑)。

どちらも、間違いだと思います。
どちらも共に、悲しい話です。

食べるということは、生きるという事。
私は、このような話を聞くにつれ、人と食の尊厳を思い、暗澹たる気持ちになってしまいます。

食べるも食べないも人任せにしない!
つまらないことかも知れませんが、私は、大事なことだと思っています。

②です。

誰だって、「見たくない現実」は見たくないものです。

私もそうです。

「見たくない現実」とは、改善できない今の積み重ねのことです。
その現実から起こりうる、将来こそ、実は「見たくない現実」が、本当の現実となる将来なのだと思います。

そのような時、私は、夢を描くようにしています。
夢とは、明るく楽しいものです。

その夢の中に逃避するのではなく、夢を「現実」にするために、行動するのです。

すっきりした姿の自分になりたいというダイエットという夢でも良いし、中年太りはご免だ、筋肉マンになるぞという夢でも構わないのです。

「このままでは、将来が危ない」という、合併症へ恐怖は、自覚症状の少ない糖尿病の場合、強いモチベーションになり得ないと思います。

恐怖は、確かに強いきっかけにはなると思うのですが、「狼が、くるぞ、くるぞ」といって、とうとうこない「狼少年」の話になりがちです。

恐怖のモチベーションは、いつか燃え尽きる可能性が高いと思います。

中長期的な考え方を支えるモチベーションは、やはり、明るく楽しいことが良いですよね。

論理的に中長期を展望することは簡単ではないかも知れませんが、夢や希望を持って、明るく楽しい未来を描くことは、どなたにでもできることだと思います。

逆説的ですが、行動を起こす前に、その夢の中に浸り、夢が実現した姿をさえ思い浮かべれば…、きっと、実現に向けて行動できると思います。

自己管理できる人、できない人。

あなたは、どちらを選びますか?
































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この記事へのコメント

チョイマルオヤジ
2008年09月12日 16:14
よくうちのハニーは(僕の糖尿病のことをですが)「糖尿病は病気じゃない!」と言います。
で、極端に糖質を制限しようとすると
「死ねへんから食べろ!」と怒ります(笑)
あくまでも糖質を上手に摂取し
日常生活のQOLや運動のパフォーマンスに活かしていく、そんな風に自己管理を続けたいと思ってま~す。

とはいえ、僕の場合はまだ病歴半年もたってませんが目指すものがぶれまくります(笑)
中長期的な目標を見失わず、自己管理続けないとなぁ、と思ってはいるのですが、それが大変ですね!
チョイマルオヤジ
2008年09月12日 16:53
すいません、語弊があったかもしれませんが、もちろん「病気じゃない」っていうのは2型糖尿病は「自己管理で病態を抑制できる病気なので病気であって病気でない」という意味です。
sho
2008年09月12日 18:03
チョイマルオヤジさん、こんにちは。

Ⅱ型糖尿病にとっては、自己管理が最大の治療ですからね。
その通りだと、私も思います。

私と女房の、定番の掛け合いがあります。

例えば、家族がオムライスを食べているのを横目で見ながら、私が「あぁ~、一生に一度でいいから、オムライスが食べたい」といいます。

すると女房が、「いいじゃないの、1回くらい。何があるか分からないんだから、食べたいもの食べたほうが良いよ!食べる?」といいます。

「一生に一度でいいから」の後が、ラーメンだったり、ピザだったり、牛丼だったりしますが、勿論、これは、お互いの冗談です(笑)。

家族の食べるものと、私の食べるものが、往々にして違うのですが、そんな時、逆に家族が私に遠慮しないように、このようなブラックジョーク?!を飛ばして、家族で笑っています。

私にとっては、こんな些細な事も、長く続ける秘訣かな…と思っています。
GUMI
2008年09月13日 10:25
我が家はは「恐怖」と「希望」と両方のモチベーションがあるみたいです。
主人が糖尿と宣告されて最初の4~5ヶ月は「恐怖のモチベーション」に突き動かされていました。
その後、銀座に主治医を変えたことである程度安心して、血糖のコントロールに確信を持ってくると、今度はモチベーションは「希望」にシフトしました。うまく糖尿とつきあっていれば、10~15年後くらいには、完治する治療法が確立されるに違いないという「希望」です。いつか旦那は量らなくてもなんでも食べられる日が来るに違いないと信じてます(^^)
短距離の夢は、無採血の血糖測定器! 九州の会社が開発に成功して、アメリカの糖尿病協会の基準の精度もクリアして、大規模臨床試験中だそうですが・・・早く一般に出回る日が来てほしいです。
sho
2008年09月13日 11:23
GUMIさん、こんにちは。

主治医を変えたことは、成功だったんですね。
現在の血糖コントロールは、ご主人の自己管理の賜物です。

モチベーションが、恐怖から希望に変われば、精神的にも楽ですよね。

誤解をおそれずにいうならば、コントロールがうまくいかないのは医師の責任。
コントロールがうまくいけば、患者が頑張ったからだと考えています。

ことほど左様に、医師には結果責任があると思います。

私も、そのような考えの下、主治医を替えました。

結果的に患者の病を改善できる医師こそが、良い医者だと思ったからです。

患者の自己管理をサポートするような「エンパワーメント」は、医師からすれば物足りない(治療という関わりの観点で)のかも知れませんが、それで改善されるなら、良いじゃないかと思います。

そうそう、私は忘れていました…。
医学の進歩という事…。

5年、10年後には、間違いなく進歩があるでしょう。

その点でも、「希望」を持って生きていきたいと思います。

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