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zoom RSS 「歩く」ということ

<<   作成日時 : 2010/12/18 17:31   >>

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先日、もう一つのブログに、とても切ないコメントを頂きました。

記事は糖尿関連ですが、そのブログは、バレーボール関連のもので、記事も3年前のものです。

丁度、病院をAGEクリニックに変え、糖質管理を始めたばかりの頃の記事です。

こちらです。
「血糖値とウォーキングの関係」
http://softvolley.at.webry.info/200709/article_7.html

それは、糖尿病で、アルツハイマー病のお母さんのことに関するコメントでした。

とても切なくて…。

アルツハイマー病の方は、よく歩くように思います。

何故なのでしょうか?

これは、推測なのですが、歩きながら考えているんじゃないかと思うのです。

実は、私の父も、アルツハイマーの疑いがありました。

脳の萎縮が認められたのです。

それは、ある日突然、「どうやって会社から帰ってきたのか、分からない」という、父の困惑した表情から始まりました。

タクシーで帰ってきたのか、電車で帰ってきたのか、誰かに送ってもらったのか…。

病院で、簡単なテストを受けました。

直前に見た物を、覚えていない、答えられないのです。

典型的な症状です。

65歳を過ぎたころだったと思います。

父は、あるお菓子の老舗の役員をしていました。

営業のたたき上げで、営業一筋だったのですが、当時、管理担当という、いわば、窓際に外され、悩んでいた様子でした。

会社には会社の、事情があったのだと思います。

それ以来、76歳で大腸がんで亡くなるまで、近くのことは覚えていることができず、遠い昔の記憶は鮮明だという状態が続きました。

それ以上、進行することもありませんでしたので、アルツハイマーと確定はできません。

そんな父も…、よく歩きました。

その時の父は、何かを考えているように見えたのです。

前を見据え、決してまわりの景色を見ない。

意を決したような、歩き方でした。

父の表現によると、「何かこう…頭の中がもやもやしてるんだ」と、いっていました。

頭の中の、もやもやしたものは、何なんだろう。

それを、吹っ切るために歩いていたのかも知れません。

人は、じっと考えることもありますが、歩きながら考えることもあります。

自分はなんなんだろいう。どうしたいんだ。どの道を行けばいいのか。

その答が見つからない、「頭の中がもやもやしている」状態って、とても不安で、不快なんだと思います。

何が何だか分からず、自分がどうなったかも分からず、じっとしていられないのではないかと…、想像しています。

私も、よく、歩きながら考えます。

じっと考えるよりも、頭の中がスッキリとし、答えにたどり着くことも多いのです。

本当に悩んでいる時には、人は、ジッとしていられないような気がするのです。

例え、答えにたどり着けなくても、歩いて歩いて、歩くことで、今、確かに生きていることだけは実感できます。

「歩く」ということ、あらためて、考えさせられました。

私も、いつまでも、「歩ける」自分でいたいと思います。

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コメント(11件)

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shoさんおはようございます。Renさんのコメントを読ませていただきました。
切ない思いです。

私の祖父(享年91)も、中学生1年のときにアルツハイマーが発覚し、2年後に脳梗塞を併発、晩年まで寝たきりとなりました。

そんな祖父も、よく歩いていました。近くの知り合いの店に行くと言って、気付いたら隣町まで行ってたり。
時に公園のベンチでぼーっとしていたり。

『何かを考えるため』

ほんとそうなのかもしれません。
何かを考えてるような、探しているような。
蝶々
2010/12/19 09:18
そんな祖父を見て、今の職業を選んだわけですが、
今でこそ職業柄、患者さんと一緒に外出したりしますが、
中学生の頃は、寝たきりになっても、ベッドから出ようとしていた祖父に『動いたら危ない』という思いが先行してしまい、動きたがってた祖父を止めていました。

今思えば、もっと一緒に歩いてあげれたら、、、

『歩くこと』に限らず、『動くこと』は身体的な意味合いだけでない、もっと『大きな意味も』持っているのでしょうね。

私も動ける限り『歩んで』行きたいと思います。
蝶々
2010/12/19 09:25
蝶々さん、こんばんは。

以前、「徹子の部屋」で、ゲストの風間トオルさんが、いっていました。

彼は、おじいさんの介護をしていたのですが、ものすごい苦労をしてたんですね。

その彼が、淡々と語っていたのです。

「帰ろうっていうと、嫌がるんですよ。だから、あっちに行こうか…といって、ぐるっと回って、上手に家に戻ってくるんです」

なんと、ポジティブな考えなんだろうと、ちょっと、驚きました。

何もかも、訳も分からないような時は、きっと、人は答を探して、答にたどり着こうと、歩き回るのでは無いでしょうか…。

優しく付き合ってあげることも、重要な介護なんだと思いました。

『歩く』ことも『動く』ことも、きっと、人としての本能なんでしょうね。

『歩く』ことも、『動く』こともできなくなったとき、それが、どれ程、ありがたいことなのか分かるのかも知れません。

最後まで、歩き続け、動き続けられるよう…、頑張りましょう!

遣り甲斐のある、大きな目標」ですよね!
sho
2010/12/19 17:57
 介護の必要性もある程度以上になると、「寝たきりのほうがまだ楽」と言われてしまう現実があるのですよね。母が脳梗塞になって回復期リハビリ病棟に居たころに、医師からそう予言されました。
 蝶々さんと同業の方が、「意識レベルさえ上がれば、絶対に歩けます」とおっしゃってリハビリをしてくださって、転院時にはなんと階段昇降までできるようにして下さったのですが・・・、次に行った医療療養型病院では『歩ける要介護5』だったために、あっという間に身体拘束→糖尿病悪化→ナースステーション直結病室のお看取り候補ベッドの住人。かっさらうように別の病院へ転院させました。

 歩けるがゆえに危険、という現実にあえて立ち向かってくれる人たちを探すのは、大変です。でも、そういう方たちのおかげで、母は今も歩けています。(「転倒しても責任を問わない」と誓約する必要はありましたけれどね。そんな誓約をする権利も義務も責任も、なーんにも負いきれないはずなのに、本人にできない・他人にかぶせるわけにもいかない、と消去法で自分が引き受けざるを得ないという現実も、また厳しいです・・・。)
えいりあん
2010/12/19 20:40
えいりあんさん、おはようございます。

≪ 介護の必要性もある程度以上になると、「寝たきりのほうがまだ楽」と言われてしまう現実があるのですよね≫…そういうお話は、よく耳にしますね。

介護が必要な家族がいる方には、切実な問題だと思います。

少し、話はそれますが、先日、車いすのプロテニスプレーヤーの、国枝選手が、なんと、自力で歩いているテレビ放送を見ました。

ある、専門ジムでトレーニングを積んだ結果なのですが、例え、10歩でも自力で歩ければ、生活上の自由度が格段に増すと、国枝さんが語っていました。

要介護の方であっても、少なくても家の中で歩くことができれば…生活の質を少しでも上げることが可能だと思います。

人の「運動機能」は、常識では測れないほどの可能性を持っています。

「歩く」「動く」ことで、好循環を作り出せれば良いと思います。
sho
2010/12/20 07:07
Shoさん、ありがとうございます
早くShoさんのblogに出会っていたら糖尿病と母の『歩く』に理解出来たのにと悔やまれます
またShoさんのblogに出会うのが遅かったけど出会えて良かったと思う次第です
Shoさんのたくさんの『セルフコントロールラリー』blogは、私の愛読書です
母はもう歩く事は叶わぬ現実ですが、Shoさんのblogで改めて母を理解出来たように感じます
母は看護婦で婦長を勤めていました
とても潔癖症でした
自分の忘れっぽさにも早くに気付き自分から精神科にかかり、認知症と言う診断も冷静に受け止めて良くなりたい一心で通院していました
子供達に迷惑をかけたくないと夫婦で何とかお互い労りながら生活をしていたのですが…父の大動脈手術で成功はしたもののあまりの大手術で寿命が短くなったんでしょう…半年後に寿命が来てしまい、そのショックで母の認知症も一気に進みました
血管性アルツハイマーと診断されたのはコチラ埼玉に来て直ぐに病院に連れ検査の結果でした
Ren
2010/12/21 21:13
父の亡くなったショックで母は歩けなくなりましたが、やはり少しずつ歩くように努力したら、認知症も回復してきて歩きもだんだん前のように早く歩けるようになりました

『歩く』
これだけは人として止めてはいけないような気がします
一概に言ってはいけないかもしれませんが、Shoさんの言うように『歩く』は人の考える力や免疫力や身体のバランスを保つのに欠かせないように思われます

やたら『歩く』事にこだわった母は、身の危うさを感じてたのかもしれません
もっと歩いて良くなりたいと本能的に感じもがいてたのかもしれません


Ren
2010/12/21 21:14
母は寝たきりになり今は老人治療病棟に居るのですが…
母の荷物の整理をしていたら…
私へ宛てた日記が出て来ました
おぼつかない字で何度何度も上からなぞって書いたような字です

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
蓮へ

こんなお母さんでごめんね
早く治すからね
わがまま言わないようにするからね


お母さんより

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

途中から日記は半分以上は読めない字になってたり何ページも飛ばして書いてあったりしてました…

私は母のようにはならない!
だから糖尿病をもっと知りたいと思うのです
まだまだ無知ですがf^_^;


Shoさん、頑張って下さいねo(^-^)o
私もいつ発病してもおかしくないので、
歩く事、最近始めました
今迄、何かと自転車を使ってましたが意識的に歩く時間を作り楽しむようにしています
Ren
2010/12/21 21:15
Renさん、お母様は、婦長さんだったんですね!

それだけに、ご自分の病状を冷静に受け止める反面、将来への不安は人一倍だったのではないかと思います。

人は、いつかは、朽ち果てていきます。

どんな立場の人であっても、どんなに格差があっても、これだけは、平等です。

だからこそ、「尊厳」が大事なんだと思います。

人としての「尊厳」…、「尊ぶ」のは周囲に対して、そして、「厳しい」のは、自己に対してでしょうか…。

お母様は、そういう方ですね。

言うは易し行うは難しです。

いくつになっても、人生は修行。

Renさんの現在の「修行」も、きっと、将来、ご自分にプラスに跳ね返ってくるに違いありません。

Renさんの、親孝行、親への思いは、痛いほど伝わってきます!

私も、まだまだ、セルフ・コントロールもかなわぬ、ひよっこです(涙)。

「尊厳」なんて、まだまだ(笑)。

お互いに、頑張りましょう!

おっと…、運動…、是非、継続してくださいね!

何かあれば、いつでも相談してください。

≪意識的に歩く時間を作り楽しむようにしています≫…ナイスです(笑)!
sho
2010/12/21 21:51
ありがとうございます。
今、ケーキ屋でバイトしてるんです(笑)
家族は甘い物が好きで、よく買って帰ります。家でもよくお菓子を作って家族に食べさせてますが、私は味見くらいで殆ど食べてません(笑) 買ったケーキも一口くらいです(笑)
遺伝的な糖尿病を気にした母は、私が小さい頃から食生活では甘いのに制限されてきたので、甘いのが苦手になっちゃいました(笑)
でもスイーツには憧れがあったので(笑)
自分が食べれなくてもつい作っちゃうんですよね。
あげくの果てにはケーキ屋さんに勤めちゃって母が知ったら微妙でしょうね。
体質は、母と私は似てるので、母は兄よりも私にだけ用心したのだと思います。
蚊に刺された時、同じ腫れかたをしてたんです。
幸い私の子供達はそんな事もないので安心はしてますが…
Shoさんは素敵です。 尊厳に値します。
blog、追いかけますねo(^-^)o
今ある中で修行に励みます(^O^)/
Ren
2010/12/21 23:08
Renさん、おはようございます。

看護師だったお母様は、さすがですね!

実は、私は、辛党(飲酒派)であるだけでなく、甘いもの、スイーツも好きなんですよ(笑)。

食べてませんが…。

例えば、お酒好きが居酒屋を経営すると、自分が飲んでしまい、うまくいかないといいます。

「憧れがあっても、自分は少ししか食べられない」くらいの距離感が丁度いいのかも知れませんね。

そうでなければ…危険です(笑)。

昔、PPM(ピーター・ポール&マリー)という、アメリカのフォークバンドの歌で、「私の試練」という唄がありました。

「すべては、私に与えられた試練。いつかきっと、通り抜けることができる」という歌詞です。

私の高校時代に聞いた唄ですが、今でも、出だしの、そのフレーズだけは、忘れられません。

お母様も、Renさん家族をご覧になって、きっと、心は安らかではないかと思います。

このブログのタイトル「ラリー」には、終わりのない人生の旅…という意味も込められています。

お互いに、「セルフ・コントロール・ラリー」…変わりゆく自分に出会う旅を、楽しもいましょう!

sho
2010/12/22 08:16

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